はじめに区立公園に建つ「忠魂碑」について伺います。
まずは、パネルをご覧いただければと思います。
委員の皆さんも、ぜひタブレットから、同じ画像をご覧ください。
5差路で知られる「榎」の交差点から東に80メートルほど歩くと、廻沢西公園という区立公園の前に出ます。その公園内に建つのがこの忠魂碑です。
初めてご覧になる方は、背後のビルの3階まで迫ろうという石碑の高さや、台座の大きさに驚かれるかもしれません。その建立の背景や経緯を郷土資料館に伺うと、7ページにわたる資料を頂きました。
その冒頭には、短く1行、こう書かれています。
「忠魂碑について (忠魂碑は、戦死者を祀るために建立された石碑のこと)」
そう。ここでご注意いただきたいのは、「祀る」とあることです。
この点は付属資料の昭和11年発行の「千歳村史」でも、「本村 出征戦死者は、日清戦争より上海事変に至る16名に及んでおり、是等(これら)はすべて廻沢所在の忠魂碑に合祀されている」と書いており、かつての宗教性は明らかです。
つまり忠魂碑は、そもそも天皇とその国家のために戦死した人の「忠義」の魂を祀り、讃える目的から建ったもの。
戦後に多く建てられた戦争で亡くなった全ての人の霊を弔い、慰め、二度と戦争はすまいとの決意をこめた慰霊碑とは、設置の趣旨が異なります。
碑の銘文には「陸軍大臣 荒木貞夫」とあり、後にA級戦犯となる荒木氏が碑文をしたためたことが分かります。この人物は「竹槍三百万本あれば列強 恐るるに足らず」の無謀な「竹槍三百万本論」でも知られます。
こうした忠魂碑が、地域の神社やお寺に残ることまで否定するつもりはありません。
しかし、戦前、戦中、陛下のため、お国のため、また軍神だと人の死を賛美した歴史を忘れ、現代の区立公園に何の注釈もなく置かれ続けることには違和感があります。
現在の区が戦前の忠君愛国と戦死を賛美するはずもないのでしょうから、せめて誤解を招かぬよう、現在の区の見識と併せて郷土史や平和を考える素材となるよう看板を設置してはいかがなのでしょう? 区長の見解を伺います。