最後に話は変わり、来年9月1日の防災の日に関東大震災から100周年を迎えるにあたり、100年前、このまちで起きた悲劇に、行政としてどう向き合い、どう取り組むのかを伺います。

関東大震災時には、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」等の流言飛語により、多くの朝鮮人が殺害されたことが知られています。

1年前の総括質疑で私からは、その殺傷事件に関連する記録が、世田谷区政においても保管されているのではないか、また、区長も個人的にツイッター上で追悼するのみならず、公人の立場で、このまちで起きた悲劇を見つめ、追悼するべきではないですか、と問いました。
その結果、世田谷区内では烏山と太子堂で類似の殺傷事件が起きたこと、当時の記録は国が保管する資料にも、区が保管する旧千歳村の村史や旧世田谷町町長、相原氏が記した手記等にも残されていることが確認できました。

これを受け、区長も次のようにご答弁されました。

「関東大震災当時の朝鮮人を対象とした流言飛語が大変広がって、残念なこと、ゆえなく殺された方が、世田谷区の現在のエリアにもあったということを忘れてはならないというふうに思っております。
歴史に刻むことが大変重要だと思っております。 これまではツイッターで追悼の意という形でしたが、次世代に語り継ぐため、自治体として何ができるのかしっかり検討を始めていきたいと考えます。」
このご答弁から、はや1年が経つわけですが、今年の9月1日も、相変わらず区長が個人的にツイッターで呟くだけで、区政での取り組みは一向に見えません。

せっかく区には関連する資料も保存、保管されているのですから、それらを単に死蔵せず、来年の関東大震災100周年では、郷土資料館、あるいは平和資料館などとも連動した資料等の展示、また解説へとつなげ、行政としての情報発信、区長としての公の追悼を求めたいと思っています。 関連所管にも、ぜひ取り組みのご指示を戴ければと思いますが、区長の見解を伺います。