◆上川あや
最後に、話は変わりまして、来年九月一日の防災の日に、関東大震災から百周年を迎えるに当たりまして、百年前、このまちで起きた悲劇に行政としてどう向き合い、どう取り組むのか伺います。
関東大震災時には、朝鮮人が井戸に毒を入れた等の流言飛語により多くの朝鮮人が殺害されたことが知られています。
一年前の総括質疑で、私からは、その殺傷事件に関連する記録が世田谷区政においても保管されているのではないか。また、区長も個人的にツイッター上で追悼するのみならず、公人の立場でこのまちで起きた悲劇を見詰め、追悼するべきではないですかと問いました。その結果、世田谷区内には、烏山と太子堂で類似の殺傷事件が起きたこと、当時の記録は、国が保管する資料にも、区が保管する旧千歳村の村史や、旧世田谷町長、相原氏が記した手記等にも残されているということが確認できました。これを受け、区長も次のようにご答弁されました。
関東大震災当時の朝鮮人を対象とした流言飛語が大変広がって、残念なこと、ゆえなく殺された方が世田谷区の現在のエリアにもあったということを忘れてはならないというふうに思っております。歴史に刻むことが大変重要だと思っております。これまではツイッターで追悼の意という形でしたが、次世代に語り継ぐため、自治体として何ができるのか、しっかり検討を始めていきたいと考えます。このご答弁から、はや一年が経過しましたが、今年の九月一日も、相変わらず区長が個人的にツイッターでつぶやくだけで、区政での取組は見えてまいりません。せっかく区には、関連する資料も保存、保管されているのですから、それらを単に死蔵せず、来年の関東大震災百周年では、郷土資料館、あるいは平和資料館などとも連携した資料等の展示、また開設へとつなげ、行政としての情報発信、区長としての公の追悼を求めたいと考えています。
関連所管にもぜひ取組のご指示をいただければと思いますが、区長の見解をお伺いいたします。
◎保坂 区長
これまで世田谷区基本構想の個人を尊重し、人と人とのつながりを大切にするを基にし、差別や偏見をなくし、いじめ、暴力のない社会の実現という視点を大切にしながら区政運営に努めてまいりました。
平成三十年に、世田谷区多様性を認め合い男女共同参画と多文化共生を推進する条例を制定しまして、国籍、民族等の異なる人々の文化的違いによる差別の解消等への取組を明確に推し進めてまいりました。昨年、今のご質問に対して、個人のツイッターでの発信だけではなく、区としても何ができるのか検討すると答弁しながら、結果、その検討を具体化していないということを申し訳なく思います。これからの社会を見据えると、関東大震災のような危機的事態が発生し、人心が不安定な状態に陥りやすい混沌とした状況の中で差別的な流言飛語があった場合に、これに惑わされず、平常時と同じような判断、行動ができるよう、他者の人権、尊厳を大切にすることができる地域社会へとより多くの人々に想像し、また、どう振る舞うかを考えていただくことは大変意義があることだと思います。
関東大震災から百年目の節目を来年迎えるに当たって、区内で実際に起きた悲劇の教訓を次世代に語り継ぐため、自治体として、どのようにこの歴史的事実を発信できるのか、具体的な取組を生活文化政策部など関係所管に指示するとともに、区長として、追悼の在り方について検討してまいりたいと思います。
◆上川あや
ぜひお願いいたします。
東京都知事による追悼は、一九七四年の朝鮮人虐殺の慰霊の式典からずっと続いてきたんですが、現小池都知事になって、これが途絶して六年になります。こうした姿勢を、追悼の辞を送付しないことは過去の悲惨な出来事を無視する姿勢につながると実行委員会の方々は批判なさっていて、全くそのとおり、世田谷区はこの逆を行きたいものだと思っております。来年に期待いたしますので、終わります。