関東大震災時、区内でも起きた虐殺と、その過ちを伝え、教訓として活かす取り組みについて伺います。
現在、区立の平和資料館では「関東大震災100年から考える災害と平和」と題し、 烏山と太子堂で起きた朝鮮人殺傷に触れた企画展を開催しています。 展示のきっかけは2021年9月以降、3度にわたり行った私の議会質問です。
当初の質問で、震災の直後、区内2か所で起きた朝鮮人殺傷の記録は、旧司法省資料や、旧千歳村の村史、当時の世田谷町長の手記にも残るはず、と確認を求めると、区もこれを認めました。ならば区長がツイッターで私的に追悼するのみならず、区の意思で追悼を――と、求め続けて今回の企画展へと至りました。
朝鮮人虐殺を巡っては、小池都知事が7年連続で、追悼文送付を見送り、先月末には、松野官房長官も「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べるなど史実に向き合わない政治の動きが相次いでいます。
こうした時世に、区内で起きた朝鮮人殺傷を認める企画展を開催した区の姿勢を評価します。
しかし、その教訓を伝え、生かす上での課題はなお多いと考え、以下、伺います。
まず、今回の企画展で区は、区内で起きた殺傷事件の裏付けを3つの政府資料に求めています。
1つは、政府の中央防災会議 「災害教訓の継承に関する専門調査会」が示した関東大震災の報告書。
2つめに当時は内務省の下部組織であった警視庁の「大正大震火災誌」。 3つめに公安調査庁の前身、法務府・特別審査局(しんさきょく)があらわした「関東大震災の治安回顧」です。
いずれの政府資料も、区内2か所で起きた朝鮮人殺傷を記録する一方で、官房長官は虐殺をめぐる記録は、政府内に見当たらないと述べ、齟齬が生じています。
私は今回の企画展で区が根拠とした3文書は、いずれも政府が作成、保管、公表してきた資料に他ならないと捉えておりますが、区はこれら3文書を作成した組織、機関をどのように捉え、また、どのように入手されたのか、区の認識を問います。
次に、区立の郷土資料館にも2つの殺傷事件の発生を裏付ける別資料や、デマに踊らされ大混乱に陥った様子を伝える証言記録、また古写真等があるのに、何一つ展示がないのが残念でした。
加えて、平素は善良であった住民が、なぜこうもデマを信じ、自警団を組織し、凶器を手に朝鮮人らを襲い、死に至らしめたのか、それらを考察するうえで不可欠な、当時の植民地支配という背景、独立抵抗運動への恐れ、朝鮮人一般に対しての差別や偏見を伝える展示が全くないことも残念でした。
この点、歴史の専門調査員が配置され、多くの資料を所蔵する郷土資料館との連携があれば、より奥行きのある、学びの深い展示になったのではないですか。
また、区は今回の企画展を一過性に終わらせず、歴史の教訓として区民に、また後世に伝え続けるといいます。ならば平和資料館と郷土資料館との連携は、ますます重要になるはずです。併せて見解を問います。
次に、区史編さん事業への反映です。
1976年に区が発行した「世田谷近・現代史」は、当時の虐殺について「暴徒と化した乱衆の、当時の社会において、もっとも非力な人々に対する暴虐は、償いがたい罪業(ざいごう)として歴史に残されるのは当然のこと」と強く非難しながらも、世田谷地域では「かかる殺傷事件が発生したとの記録は見つかっていない」とし、区内での虐殺を素通りしています。
当時から烏山であった事件は知られ、また存命の関係者もいらした時代に不自然です。
また同記述の直前、世田谷町長がその手記で「三軒茶屋ニテ殺傷事件アリ」と書いたことを紹介していることを考え合わせても全く不釣り合いな記述です。
他方、1982年発行の区制五十周年記念「世田谷、町村のおいたち」では一転、烏山での殺傷を実際にあった事件と書き、犠牲者数を13人としています。
しかし現在の目から見れば、どちらの記述も不適切、或いはミスリードではないのでしょうか?
また、現在作業中の区史編さん事業では、殺傷の過ちを率直に認め、より正確な記述とするよう求め、見解を問います。
次に区教委に確認したところ、現在の区立小中学校の教科書には、関東大震災時の「根拠のないうわさ」や「流言」が元で多数の朝鮮人や中国人などが殺された、等の記述があると判りました。しかし先生方自身が、このまちで起きた悲劇も知らず、教えるというのはいかがかと思います。
子どもたちへの教育で、直に地元の悲劇に触れることは難しくても、教職員への人権研修では事実を伝え、学びを深める材料とするべきです。
現に関東大震災時、現在の市域で89名もの虐殺犠牲者を出した埼玉県本庄市では、必ず新任、転任の教職員研修で伝えているそうです。区教委にも同様の対処を求めますけれどもいかがですか?
また区長部局でも人権研修は、採用1年目研修を始め、7年目以降も5年ごとに受けるなど重視されています。これら研修でも是非このまちで起きた悲劇を伝え、特にヘイトスピーチの害悪に理解を深める材料として頂きたい。区の見解を問います。
次に生涯学習についてです。
現代の価値観において「平和」は単に「戦争がない状態」のみを差すのではなく、「暴力のない状態」までをも含む理解が広がりつつあります。
災害時、デマをきっかけに平素からの偏見に火がつき、不信や懸念が募ると、やがては「防御」を名目に、制御が利かず、暴行や殺害にまで至るという過去の教訓は、区のピースセミナーでも取り上げて良いテーマだと思います。 区教委の生涯学習でもその教訓を生かした取り組みを求めますが、いかがですか?
次に災害対策です。
先に挙げた中央防災会議の報告書は、関東大震災の死者10万5000人のうち、千人から数千人を殺害によるものと推計し、次のように書いています。
「武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えた挙げ句に殺害するという「虐殺」という表現が妥当する例が多かった。」
「加害者の形態は官憲によるものから、官憲が保護している被害者を、官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である」…として、官庁記録に残る殺傷事件の死者数一覧表まで掲載した上でこう総括しています。
「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は、日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」。引用はここまでです。
ところが危機管理部に確認したところ、区の「地域防災計画」におけるデマへの対処の記述は、【震災編】第4部 「南海トラフ地震等 防災対策」にのみ書かれ、他の計画部分にはないと判りました。
流言飛語による混乱を防止し、正しい情報を発信することを防災計画全体に通底するものとしてしっかり記述するよう求め、見解を問います。
最後に、企画展に寄せられた区長メッセ―ジについてです。
企画展の順路の最後に区長メッセージのパネルがあり、「朝鮮半島出身者等を狙った襲撃や撲殺事件等が起きたことも忘れないでいたいと思います。」と虐殺を率直に認めた姿勢を評価しています。しかし、そこに続く言葉には引っかかりを覚えました。
曰く、「関東大震災という大きな災害を通じて、命と人権の尊さに思いを馳せ、犠牲となられた方々に心からの追悼を捧げる」として震災そのものの犠牲者と、デマで汚名を着せられ殺された犠牲者とを分けることなく追悼しているのです。
虐殺犠牲者への追悼文送付を見送り続け、強い批判を受けてきた小池都知事も東京都慰霊堂で行われる大法要に追悼文を送付していることをもって「全ての方々に哀悼の意を表している」との逃げ口上を繰り返しています。
この夏も繰り返された、この言い訳に、朝鮮人犠牲者追悼式典の実行委員長が「一緒くたにしていいのか」と強く批判したことを区長もご存じだと思うのです。
ここは震災による犠牲者と、虐殺という人災の犠牲者とを明確に分け、別の言葉があっても良かったと考えるのですが、いかがでしょう。区長の真意を最後にお尋ねし、壇上からの質問を終わります。