◆上川あや

区長の防災の日のツイートに関して伺います。

九月一日、区長はツイッターに次のように書いています。「関東大震災から九十八年後の九月一日に。M七・九の巨大地震は、十万人を超す死者行方不明者を出しました。さらに、情報途絶下で流言飛語が飛び交い、朝鮮人であることを理由に多くの人々が殺害され犠牲となる事件が起きたことは、痛恨の極みです。歴史に刻み、犠牲となられた方々に心からの追悼を捧げます」、私もこの区長の追悼メッセージには好感を持っています。
当時、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどの流言飛語によって多くの朝鮮人が殺害されたことは、戦後公開された旧司法省資料や警視庁の資料にも記録が残り、平成二十年には、政府の中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会も認めた事実だと認識をしております。現に起きた悲劇に蓋をせず、同様の事件を二度と起こさないよう追悼することは、区長として、また、人としてあるべき姿勢だと思っています。

一方で、気になりますのは、区内に伝わる悲劇には一切触れず、震災の犠牲者と虐殺の被害者とを分けることなく追悼している点、また、あくまでもツイッターの中だけの私的な追悼で済ませている点です。歴史に刻みというのであれば、区内に伝わる悲劇も謙虚に見詰め、それが事実であれば伝えるという努力をするべきです。世界では、徳富蘆花が「みみずのたはこと」で、「隣字の烏山では」からから始まり、「鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事羞かしい事です」と書いた殺傷事件が知られています。この事件は、旧司法省、また、警視庁の資料にも記録が残り、区が保管する旧千歳村の村史にも、鮮人殺傷事件として、死者三名、重症数名と明記をされています。

ところが、昭和五十一年に区が発行した「世田谷近・現代史」では、これまでこういった殺傷事件が発生したとの記録は見つかっていないで素通りをし、昭和五十七年の区制五十周年記念「世田谷、町村のおいたち」では、一転、現に起きた殺害事件として書いております。
歴史の専門調査員が配置をされ、歴史資料の収集や調査、研究等を行っている郷土資料館では、現在、この事件の記録をどのように把握をされているでしょうか。伺います。

◎内田 生涯学習部長

御指摘の関東大震災における烏山での殺傷事件に関しまして、区の資料としては、昭和十一年発行の千歳村史に、大正十二年関東大震災の節偶々鮮人殺傷事件の惹起するやとあり、昭和五十七年発行の区制五十周年記念「世田谷、町村のおいたち」に、烏山で起きた殺傷事件について、実際は十三名で、府中から笹塚へ京王電車の車庫の修理に向かっている途中で襲われたものでしたと記述されています。また、国立公文書館の一組織であるアジア歴史資料センターにある資料、犯罪事実個別的調査表の中で、場所として千歳村烏山、罪名として殺人及び同未遂等の記述が確認できます。

◆上川あや

烏山の殺傷事件は、当時の政府がまとめた調査報告や幾つかの区の刊行物にも記録として残されているということが確認できました。

また、区内では、烏山以外にも事件の記録が残っています。当時の司法省の調査資料によりますと、烏山で殺傷事件があったのと同じ日に、現在の三軒茶屋交差点から目と鼻の先でも朝鮮人が猟銃で殺害されたと記録されています。この事件は、政府の中央防災会議が災害教訓としてまとめた資料、当時の警視庁資料、「大正大震火災誌」、さらには、当時の世田谷町長、相沢栄吉氏の手記にも同一事件と思われる記述が残っています。この三軒茶屋での悲劇についても、当時の公の記録は確認ができているという認識でよいでしょうか。

◎内田 生涯学習部長

お話しの三軒茶屋での事件に関しまして、区の資料としては、郷土資料館に寄託を受けております相原家文書の資料において、被災後の混乱と住民の対応として記録した中に、三軒茶屋にて殺傷事件ありとの記述があります。また、先ほど挙げました犯罪事実個別的調査表の中で、場所として太子堂、罪名として殺人の記述が見られます。
区としましては、混乱に乗じた悲惨な事件などが当然ながらあってはならないことということから、今後も、区の歴史資料の収集、保存に努め、関東大震災当時の様子など、より多くの関連する資料を適切に区民の皆様に伝えるとともに、次世代へ継承していけるように取り組んでまいります。

◆上川あや

三軒茶屋の殺傷事件についても確認が取れました。

さて、同様の殺傷事件のあった埼玉県熊谷市や本庄市では、市長自らが出席する追悼の式典が毎年開かれ、市報でも広報されています。区でも式典をせよとまで言うつもりはないですが、全国で初めて民族・国籍差別を条例で禁じた区として、悲劇を後世に伝える責任はありますし、区のホームページなどで費用をかけずに追悼もできるはず。私的につぶやくだけというのでは大変残念です。十年前の東日本大震災でも外国人犯罪のデマは流され、後の調査では仙台市民の九割近くが信じたという驚くべきデータも実際に報道されており、ぞっとしています。この町で起きた悲劇から真摯に学び、二度と繰り返さない決意を込めて、区の意思で追悼することはできないでしょうか。区長のお考えを伺います。

◎保坂 区長

私は、基本構想で、差別、偏見をなくし、また、男女共同参画と多文化共生を推進する条例で、まさに国籍、民族等の異なる人々の文化的違いによる差別を解消するという姿勢を明確にしてまいりました。議員御指摘のように、九月一日に、確かにツイッターで関東大震災当時の朝鮮人を対象とした流言飛語が大変広がって、残念なことゆえなく殺された方が、世田谷区の現在のエリアにもあったということを忘れてはならないというふうに思っております。歴史に刻むことが大変重要だと思っております。
これまではツイッターで追悼の意という形でしたが、次世代に語り継ぐため、自治体として何ができるのかしっかり検討を始めていきたいと考えます。

◆上川あや

追悼も含めてお考えいただけるということでしょうか。

◎保坂 区長

こうしたことを繰り返さない、そして、追悼をしっかり尽くすということであります。

◆上川あや

民族・国籍差別を禁止する世田谷区として、ややもすると、日頃ある偏見が災害のときに暴発をする、こういった危険が二度と起きないように、多文化共生に力を入れていただくとともに、追悼、歴史を見詰めることをしっかりと行う、そういった誠実な態度で今後も進んでいただければと思います。