◆上川あや

平成二十五年度世田谷区各会計決算認定五件に賛成の立場から意見と要望を申し上げます。

改善要望の第一は、区の災害対策の再点検についてです。
企画総務領域の質疑で取り上げましたとおり、区の雷被害への対策、一瞬で発生する過大電流に対する電気通信機器の備えには大きな手抜かりがあります。雷害対策をテーマとした平成二十年九月の私の一般質問を受けて、区は翌年度、本庁舎の電話交換機の一部で、二十二年度には地域系防災無線のデジタル化工事に合わせて、また二十五年度の危機管理室移転の際にも一定の雷害対策を施したとのことですが、今回改めてケーブルの流れを再点検していただくと、危機管理室につながるJ―ALERTのアンテナにも、通信、電気ケーブルの一部にも過大電流に無防備な抜け道が残されているとわかりました。
さきの質疑でも紹介したとおり、新聞記事のデータベースを雷、市役所の二つのキーワードで横断検索すると、実に二十八件もの被害報道がヒットします。また、市役所を庁舎にかえても、さらに十二件もの被害報道がヒットします。これらを読み下してはっきりとわかることは、行政府庁舎に過大電流が流れ込むことは決して珍しくなく、電気通信ネットワークの塊である災害対策機器そのものに被害が集中しがちだという事実です。
一例を挙げれば、昨年、三重県鈴鹿市役所では、一発の雷が落ちたことで防災監視盤の本体、消防設備監視盤の本体、非常放送設備、防災無線設備の一部、延焼防止用の窒素ガス、井戸水揚水ポンプ、電話交換機、エレベーター監視盤など十三の機器に被害が生じました。避雷針があれば大丈夫という常識は、電気通信ネットワークが発達した今、全くの誤りです。
今回質疑した結果、災害対策機器の一部にでも雷害対策がとられていたのは本庁舎のみということが明らかとなりました。他の庁舎も含め、早急に再点検を実施するよう改めて求めます。

改善要望の二点目は、非を非として認めない無反省な態度をぜひ改めていただきたいということです。
今定例会冒頭の一般質問とさきの補充質疑では、区がみずからの手話通訳等派遣センターの運営経費の実費を負担せず、その多くを委託先である世田谷区聴覚障害者協会に押しつけてきた事実を取り上げました。区が計上する借り上げ賃料は月額四万五千円、ところが、実際の借り上げ賃料は月額九万七千円、実に半分以上が同協会さんの負担になっています。また、事務所を借りれば必ず発生する更新料、礼金、火災保険料も区は一切払ったことがなく、区が計上する人件費もわずかに一人分、実際には三人のスタッフが従事する事務所であるにもかかわらずです。
全く恥ずかしい事務処理を行いながら、さきの本会議での答弁は、聴覚障害者協会より見積もりをいただいた上で予算編成を行っていると、その責任を同協会に押しつけるものでした。しかし、同協会に確認をさせていただくと、何のことはありません。見積書の各項目の単価は区の指示どおりに記載していますとのお答えです。つまり、実態とかけ離れた記載金額を指示していたのは世田谷区です。この構図は圧倒的な影響力をかさに着た下請いじめそのものです。であるのに、区からは反省の弁がついぞ一言も出てこない。その現実を私は心から情けなく感じています。
繰り返しますが、同センターの運営は法に位置づけられた区の必須事業の一部です。同センターの運営経費は区が実費負担することが当然であって、区内の全ての聴覚障害者が加入するわけでもない一障害者団体に多く押しつけるやり方は誤りです。この間、不当に同協会に支払わせてきた運営経費七百万円超の全額弁済を改めて区に求めます。
汚点を残したまま区長も再選を目指す選挙戦に突入することがないよう求めます。必要なら今後もその善処を求め、議論を続けてまいりますので、そのおつもりでの対処を願います。

要望の第三点目は、ニーズを潜在化させない努力です。また、事の本質を見きわめ、時代を先取りする姿勢で、世田谷区から日本を変えていくよう求めたいと思います。
区民生活領域の質疑では、区民体育大会に障害者の参加を想定した種目が一切ないこと、高齢者を想定した種目も貧弱なことを取り上げました。同趣旨での質問は、昨年の決算質疑でも行っており、よい答弁をいただいておりましたが、この間、一年全く動きがないことを確認し、改めて区に奮起を求めました。質疑では、世田谷区より五万人も人口の少ない佐賀県で、昨年度ユニバーサルデザインの視点から県民体育大会と障害者スポーツ大会、高齢者主体のねんりんピックを統合、開催し、障害者の選手六百三名、ねんりんピックの高齢者選手千七百六十名の参加を得ていることを紹介しましたが、ずっとエリアが凝縮され、また人口も多く、移動もしやすい世田谷区でできることはずっと多いはずと考えます。先進事例に学び、しっかりと状況を変えていただくよう求めます。

また、今定例会の一般質問で私が取り上げたテーマの一つは、市民の本質的平等にかかわる課題、同性愛者の平等の権利でした。今、その権利がアメリカでは人種差別解消に続く第二の公民権運動と捉えられています。さきの本会議でその改善策を提案した時点で、アメリカ国内で同性同士の婚姻を認めていた地域は十九州と首都ワシントンDCだけでした。しかし、あれから一カ月、事態は大きく動いています。
今月七日のアメリカ連邦最高裁決定で、婚姻に性別を問わない州は一挙に三十州に拡大。その二日後、九日の最高裁判断で、さらにその数は三十五州にふえ、アメリカ国民の実に六四%が婚姻に性差別のない州に住むこととなりました。
本会議では、先進七カ国、G7中、同姓カップルを全く認めていない国は日本一国だけであると述べましたが、他の先進国も過去を振り返れば、二〇〇四年、アメリカ・サンフランシスコ市やフランス南部のマメール市が独自に同姓カップルの婚姻届を受理したことが、国民的な支持、議論が深まるきっかけとなりました。
婚姻制度は法定受託事務でありますので、区単独でその婚姻を即座に認めよとまでは申しません。しかし、区独自に同姓パートナーシップのステータス、名義的なステータスを認める程度のことは、欧米の多くの都市が実践してきたように、可能であることです。リップサービスにとどまらない実質的な検討を急ぐよう、改めて求めます。

最後に、未来への投資についてです。
さきの総括質疑で、区の従来の全貸付型の奨学金を返済不要の給付型に変えるべきであると申し上げました。同質疑での区長の前向きな答弁を受けて、給付型の原資がどこにあるのか等の意見も出ましたが、原資という局所的な議論にこだわっていては、本質的な問題点を見失うのではないかと危惧します。
給付型奨学金の実現は、この国の最大政党が一昨年の総選挙で公約しながら見送ったものにすぎません。また、質疑でも述べたとおり、日本を除く先進国で奨学金は給付型こそが基本です。そもそもOECD加盟国の半数、十七カ国で大学で授業料は取りません。授業料は公費で賄われるものです。一方、日本のそれは奨学金とは名ばかりの教育ローンであり、その取り立てはサラ金さながらであります。
世界一授業料が高い上に、まだ社会に出て働く以前の高校生、大学生に公が数百万円という借金を背負わせて社会に送り出す構造自体がいびつで異常だと気づくべきなのです。そうでなくても私たち大人は、国と地方を合わせて一千兆円を超える先進国最悪の借金を未来の世代に背負わせています。彼らをおとしめることは、我々のこの社会の未来もおとしめること。積極的に学ぼうと努力する若者を積極的に支援できる学びの無料化は、国際人権規約を批准した日本国政府の国際公約でもあるはずで、そこに公費を投入するのはむしろ当然のこと。これは私たちの社会への未来への投資なのです。
私には若者支援をうたう世田谷区が、全返済型の給付金にこだわること自体が滑稽に思えてなりませんし、都内の大学進学率が七二%に達し、大学生の奨学金利用率が既に五割を超えた今、世田谷区の高校生を主たる対象とした全貸付型奨学金システムも若者の借金苦を生み出す温床に違いなく、若者支援の旗印を汚す汚点だとすら私は考えています。この点、すぐにでも改めていただくことを改めて求めまして、レインボー世田谷の意見といたします。