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多様な「個」を認め合える、みんなにやさしい街づくりを目指します。
上川あやは、多数派前提につくられた社会環境を見直していきたいと考えています。
「ふつう」や「あたりまえ」は時代や地域で大きく変わるのに、この国の「ふつう」「常識」から外れると、とたんに劣等感を抱かされ「困っている」という言葉さえ言いづらくなりがち。
だからこそ――
ちいさな声、社会にとどけ!
声をあげれば、社会は変わる!
上川あやが悩みぬいて出した結論、それは、自らが抱えてきた「性同一性障害」/トランスジェンダーの体験を糸口に、誰もがのびやかに暮らせる社会をめざすこと。
性の問題に限らず、多様な社会的少数者の環境改善に光を当てていきたい。
安全や安心をだれもが享受できる社会を目指したい。
このポリシーに共鳴してくださる、あなたのお力添えを切望しています。
ご意見、ボランティアのお申し出など、心からお待ちしています。
具体的な政策
高齢者や障害のある人などが、安心して暮らせる社会の実現
- 足腰が弱っても安心。ベンチのある街づくりを推進します。
- 区のスポーツ大会への高齢者、障害者の参加機会を増やします。
- 聴こえない/話せない方のアクセシビリティの向上に取り組みます。
- 最重度障害のある人のニーズに即した公的介護保障の徹底をめざします。
- 就学、就労にも移動支援(ガイドヘルプ)を支給できるよう取り組みます。
- 精神・知的障害者の職員採用枠の実現を目指します。
- 福祉作業所への業務委託を推進し、働く皆さんの工賃アップを支援します。
- 高齢者や障害のある人が地域で暮らせる街づくりをすすめ、自立を支援します。
一人ひとりの子どもに適した教育活動の充実
- 進学をあきらめさせない、給付型奨学金制度の構築をめざします。
- 特別支援教育の充実をすすめます。
- 長期療養中、入院中の子どもにも学ぶ機会の保障をすすめます。
- 教科書の距離が見えづらい子どもたち。「近見視力検査」の導入をめざします。
- 戦争体験をもつ語り部の活用、記録の保存と共有化を求めます。
- 人を差別しない人権尊重教育をすすめます。
- 性的マイノリティに対する偏見の解消と正確な知識の共有を図ります。
- 区の管理空間を利用したヘイトスピーチを認めません。
バリアフリーの視点も含めた災害対策の検証と徹底
- 集合住宅の受水槽内の水を、災害時の飲み水に提供できるようにします。
- 推計区内に5000~1万か所。急傾斜地の崩落防止対策を推進します。
- 平らな住宅の下にも「谷」。谷埋め盛土宅地の地すべり対策に取り組みます。
- 耳や目の不自由な人も避難誘導できる災害時システムの普及を進めます。
- 人工呼吸器の使用者・透析患者等に対応できる災害時体制の整備をすすめます。
- アレルギーに対応した防災備蓄の整備を進めます。
情報公開と区民参加の推進
- 外国籍住民も区民です。区政参加の回路を拡充します。
- 公文書管理を再構築。改ざん、隠ぺいした職員に懲戒ルールを適用させます。
- 声が上がるのを待つ公聴からの脱却をすすめます。
自然生態系の保全と育成で、水とみどりの街づくり
- 相続などで貴重な緑が失われる現状に歯止めをかけるよう取り組みます。
- 天然記念物の指定と保護に取り組みます。
- 年々、失われる近代建築物の保全と活用に取り組みます。
- 雨水の地下浸透を推進します。
- 環境に配慮した用紙調達「森林認証制度」の活用を求めます。
その他にも・・・
- ホームレスの知的障害、精神疾患を見逃さないアセスメントの定着を図ります。
- 欧米偏重の姉妹都市提携。アジア諸都市との交流をすすめます。
- 分煙の普及、路上喫煙の抑止に取り組みます。
- 雨水の地下浸透を推進します。
- 国の規制緩和を活かした、河川敷の楽しい活用をすすめます。
性的マイノリティーの皆さんへ
幼児のころ。兄(上)と私(下)
私、上川あやも、セクシュアルマイノリティの一人として生きてきました。
LGBTのT。男性から女性に性を越境したトランスジェンダーです。
「日本は私を幸せにしない社会なんじゃないのかな?」
そんな思いからはじまった、本当の自分探し。
その模索が後年、思いがけない形で今の政治参加に繋がりました。
(27歳のとき、シンガポールで)27歳のとき、男性サラリーマンをやめシンガポールに渡りました。
本当の私らしさにない「男」を演じ続けても幸せには辿り着けないと思いました。
当時、日本では「性別適合手術」がタブー視されていましたが、シンガポールでは国立大学病院で提供されている医療でした。
担当医を調べ、英語で手紙を書き、その医療プログラムを受ける希望をもち現地入り。辞書を片手に家探し…。学校を見つけ、長期滞在に必要なビザを得た。
シンガポールも差別が根深いと実感する出来事がつづき、翌年、米・サンフランシスコへ。現地では差別犯罪で多くのLGBTが殺されていると知り、結局、差別をされても殺されない、日本に戻りました。
34歳「表参道のOL」。男性だった過去は職場の誰も知らなかった。姿は女性に変わっても、戸籍上の性別が変えられない。
家探しに苦労し、正社員になることを諦め、医者にかかることを躊躇し、世田谷区に暮らしました。
30歳から4年間、男性だった過去をふせ、女性として複数の企業に勤めましたが、差別を恐れれば、社会保険の無い職場をわざわざ選ばざるを得えませんでした。私を女性と証明できる公的書類がどこにも存在しなかったからです。
公的書類上の性別1文字を変えるため行政機関を訪ね歩きましたが、どこも変えてはくれなかった現実。
裁判に訴える仲間も出てきたものの結果は却下に次ぐ却下。
行政判断でも司法判断でも、否定的な結論が出るたび、悔しくて泣きました。
最後に残されたかすかな希望が政治だったのです。
2003年春、統一地方選・投票日の2か月前に出馬表明。
「性同一性障害の当事者出馬へ」と顔写真入りの新聞記事。
戸籍上「男性」であることも明らかにした。
(2003年の初出馬時の街頭演説風景。二子玉川駅前で)「私の戸籍は男性です。」。
当初は冷笑する人も少なくなかった街角。
本当は知られたくなかった事実を、毎朝、毎晩、メガホンを通して訴えました。
侮蔑の言葉を浴びれば、家に帰って泣きました。
それでもあきらめるわけにはいきませんでした。政治がこうした問題に光を当て、法や制度が変わらなければ、結局、生きづらさは変わらないと感じ続けていたからです。
冷笑と応援が交錯した、約2か月間の政治的アクション。
多くの方に支えられ、結果的には72人の立候補者中、第6位で当選することができました。
以来、4期連続の当選。はや16年近く、政治活動を続けています。
戸籍の性別については、当選の2か月半後、必死のロビイングが実り、性別変更を可能とする特例法を国会の全会一致で成立させることができました。
以来15年、これまでに7000人以上が性別を変更しています。
世田谷区では当選後、行政書類上の性別欄の「要・不要」を全て調査。私が議会で求めた不要な性別欄の削除が約6割の書類で出来ました。
2007年春、区が初めて策定した性差別を無くす行動計画「世田谷区の男女共同参画プラン」では、私の提案した「性的少数者の理解促進」が施策に明記され、以来、職員研修、相談事業、地域から差別をなくしてゆくための啓発事業が脈々と続けられています。
さらに、2015年11月5日。
私と区内同性カップルが連携したアクションで区に検討を求めてきた同性カップルを公式に認めるパートナーシップ制度が、世田谷区と渋谷区、2区同時にスタートを切りました。
2017年6月には、同性カップルの入居を認める、全国初の公営住宅条例改正案が成立。生存権保障の取り組みである公営住宅の入居対象者に同性カップルが正面から位置付けられました。
その後も――
- 職員採用試験からの性別欄廃止(2017年8月~ 杉並区とともに、23区初)
- LGBT差別、民族・国籍差別を禁止し、被害者救済制度を整えた区条例の成立
(2018年3月 LGBT差別禁止は国内5番目、人種差別禁止は日本初)
- 区内の中小企業勤労者向け福利厚生サービスが同性カップルにも平等に
(2018年6月~ 日本で2例目) - 旅館業法施行細則の宿泊者名簿・必須記載欄から性別削除(本年4月予定 都内初)
- 世田谷区の全区立中学で制服選択が自由に
(2019年4月~自治体全体の取り組みとしては都内初)
上川あやは、これからも都内最大のまち、世田谷区を舞台に性の多様性にやさしい制度改革を推進していきます。
そして、性別に関わらず婚姻もできる自由で寛容な日本社会を目指します。
ひとりで社会を変えることは難しくても、みんなで知恵を集め、協力すればきっと大きな力に変わります。
ぜひ共に頑張ってゆきましょう。
2023年春 上川あや