上川あやさんのところには、日々、性同一性障害で悩む人たちからの相談がメールで届く。どんなに忙しいときでも、相手はそんな事情はわからない。
簡単に調べられるはずのことをメールで問い合わせをする人たちだっている。
「自分で調べられることは自分で調べろ。人の大切な時間を奪うな」と私は思ったりもするが、彼女やスタッフはそれに返事を出す。
イタズラが混じっているかもしれないが、それで救われる人がいるかもしれないと思うと無下にはできない。
さまざまな機関では手に負えずに、彼女のところに回されてくる相談もある。
ここが最後の頼みの綱なのである。

区議は区のことをやっていればいいはずだが、それらの多くは選挙民ではない。
当然、選挙権のない中高生もいる。
それだけこの国では性同一性障害への取り組みが遅れていて、その遅れを彼女が補完することになっているわけだ。

彼女が区議になった意義は区民だけの問題ではない。
それと同時に、彼女の存在は、性同一性障害の人々にとってのみ意義があるわけでもない。
そのことはこの4年間、彼女が世田谷区で取り組んできた実績を見ていただければおわかりになるだろう。