次に、今から16年前、2009年4定で私が初めて取り上げた、旧棚網家板倉の復元について伺います。 

区が、その高い文化財的価値を認め、部材一式のご寄付を受けてから今年で35年が経つにもかかわらず、未だ復元の見通しが全く立たない現状を区はどう見るのでしょうか。
旧棚網家板倉は、桜丘4丁目の旧家に1911年頃建てられたと推定される貴重な明治期の穀蔵です。
草葺(くさぶ)き・寄棟造りの板張りで「出桁(だしげた)」と呼ばれる大きく張り出した軒(のき)が特徴で、区内でも類例のない希少な建築物として2015年には区指定の文化財となっています。

そもそも、区がその部材一式のご寄付を受けたのは1990年。
その後、私から2009年、2013年と続けて復元を求め、区もこれに応じて部材の再点検、文化財的価値の再評価、文化財指定へと進めました。

ところが2020年に「次大夫堀公園・民家園・再整備基本構想」に「2つの復元案」を盛り込んだところで、また動きは止まり、 2022年に開始予定だった再整備工事も滞っています。

このため、結局――
・2つの復元案からの選択も未確定
・復元時期も不透明
・建物周辺の整備や利活用方針も未策定
――というナイナイ尽くしが続いています。
ここまで場当たり的対応を繰り返し、いったいいつになれば復元されるのでしょう?
区民から貴重な財産のご寄付を頂きながら、その後の経過はあまりに不誠実で、区の文化財行政の姿勢、そのものが問われます。

そこで伺います。
まず、これまで部材の解体と保管、その後の再調査、文化財指定とその広報に至るまで区はどれだけの公費を投じたのでしょう?

また、多摩川の氾濫原に部材を保管する現状は極めて不適切であり移設すべきです。
今後の整備・活用スケジュールと併せ、区の対応方針を伺います。