◆上川あや
本日は二つの提案をしたいと思います。
一つ目の提案ですが、成城かいわいの緑地をつなぐ形で区が整備したフィールドミュージアムに続きまして、二子玉川駅周辺の崖線の緑と、かつて地域に点在した別邸建築物群の名残を生かして、緑と文化、あるいは緑と歴史のフィールドミュージアムはできないでしょうかという提案です。
私が、その建築部材の三十数年にわたる死蔵を発掘して区議会で復元を求め続けてきた旧清水邸書院ですが、再来年の春、仮称二子玉川公園内に復元の運びとなりました。一連の皆さんのご努力については率直に感謝の念をお伝えしたいと思います。
そして、今回復元される建物自体、明治末期の総アカマツづくり、金箔、銀箔、螺鈿細工にウグイス張りの廊下もありということで、大変豪奢な建築物なんですが、その魅力を最大限に活用して、町のブランドアップ、活性化につなげていくためには、周辺の魅力ある他の施設との連動、回遊性の確保が重要だろうと思っています。他会派のご提案にもありました町なか観光が有効だと思うんです。
これまで国分寺崖線に残る別邸建築といいますと、区が所有する旧小坂邸が唯一と思われてきました。しかし、よく調べますと、本宅そのものは残っていませんでも、それ以外の建築物は結構残っているんですね。有名なところでは旧三菱財閥のお屋敷跡、静嘉堂文庫の文庫そのもの。都の重文にも指定されているスクラッチタイルの洋館は大正十三年の建築物だそうです。同じ敷地の中には岩崎家の霊廟がありまして、これは明治四十三年の建築物で、設計者は鹿鳴館の設計でも有名なジョサイア・コンドルです。
小坂邸に近接する多摩川テラスの敷地内には、旧日産財閥の総帥、鮎川義介邸だった当時の正門、区の重文にも指定された武家屋敷門が残っています。
さらに、仮称二子玉川公園に近い五島美術館の園内には、かつての台湾総督、田健次郎氏の別邸だった当時、明治三十九年に建てられまして、大正十年、昭和天皇の宿泊に合わせて改修された古経楼という和風建築が、今なお、ほぼ当時のまま残されているそうです。
意外や意外、江戸期から昭和初期に至るまでの建築物群が今なお地域には点在しているんですね。これらを単体で見るのではなく線としてつなぐことで、神戸市の北野の異人館街、あるいは横浜山の手の西洋館めぐりにも似た一つの観光資源になるのではないか。世田谷の緑濃いお屋敷町としてのブランドアップにもつながるんじゃないだろうかというのが今回の提案です。区のお考えはいかがでしょうか。
◎直井 みどり政策課長
世田谷・みどりのフィールドミュージアムは、身近な自然の豊かさやすばらしさを知り、区民共有の財産として守りはぐくむ取り組みとして、地域全体を一つの博物館としてとらえ、学習、体験の場とする目的で、平成二十一年度に第一号を成城学園前駅周辺地区において開設いたしました。区内二カ所目のフィールドミュージアムとしましては、これから開園が予定されています仮称二子玉川公園や国分寺崖線上の上野毛自然公園など、二子玉川駅周辺の緑、水の資源を結ぶフィールドミュージアムの開設を構想しているところでございます。
ご提案にありました二子玉川駅周辺には、国分寺崖線沿いに岡本静嘉堂文庫や区立瀬田四丁目広場にある旧小坂邸、仮称二子玉川公園に移築が予定されている旧清水邸書院など、崖線の緑と一体となった近代建築がございまして、区民にとりまして貴重な学習、体験の場となり得ると思われます。
今後、みどりのフィールドミュージアムの整備におきましては、区で推進しております観光の視点にも寄与するよう、緑と水の資源に限らず、整備地区内にある取り入れが可能なその他の資源につきましても、目的に沿った選定を行い、広く紹介してまいりたいと考えております。
◆上川あや
ありがとうございます。