◆上川あや

初めに、区立公園に建つ忠魂碑について伺います。

まずは、私の背後にあるパネルを御覧いただければと思います。委員の皆様は、ぜひタブレットから同じ画像を御覧ください。


廻沢西公園 忠魂碑遠景 ※クリックすると拡大します

廻沢西公園 忠魂碑遠景

 
五差路で知られる榎の交差点から東に八十メートルほど歩きますと、廻沢西公園という区立公園の前に出ます。その公園内に建つのが、こちらの忠魂碑です。初めて御覧になる方は、背後のビルの三階にまで迫ろうという石碑の高さや台座の大きさに驚かれるかもしれません。

この設立の背景や経緯を郷土資料館に伺いますと、七ページにわたる資料を頂くことができました。
その冒頭には短く、こう書かれています。「忠魂碑について(忠魂碑は、戦死者を祀るために設立された石碑のこと)」、そう、ここで御注意いただきたいのは、「祀る」とあることです。この点は、附属資料として頂いた昭和十一年発行の「千歳村史」でも、「本村出征戦死者は、日清戦争より上海事変に至る十六名に及んでおり、是等はすべて廻沢所在の忠魂碑に合祀されている」と書いてあり、かつての宗教性は明らかです。
つまり忠魂碑は、そもそも天皇とその国家のために戦死した人の忠義の魂を祭り、たたえる目的から建ったもの。戦後、各地に建てられた戦争で亡くなった全ての人の霊を弔い、慰め、二度と戦争はすまいと決意を込めた慰霊碑とは設立趣旨が異なります。
碑の銘文には、「陸軍大臣荒木貞夫」とあり、後にA級戦犯となる荒木氏が碑文をしたためたことが分かります。この人物は、竹槍三百万本あれば列強恐るるに足らずの無謀な竹槍三百万本論でも知られる人物です。
 
こうした忠魂碑が地域の神社やお寺に残ることまで否定するつもりはありません。
しかし、戦前、戦中、陛下のため、お国のため、また、軍神だと人の死を賛美した歴史を忘れ、現代の区立公園に何の注釈もなく置かれ続けることには違和感があります。
現在の区が戦前の忠君愛国と戦死を賛美するはずもないのでしょうから、せめて誤解を招かぬよう、現在の区の見識と併せて郷土史や平和を考える素材となるよう看板を設置してはいかがなのでしょうか、区長の見解を伺います。

◎保坂 区長

委員お話しの廻沢西公園についてですが、昭和二十六年に都立公園としてできまして、四十三年に区に移管されているものでございます。この碑の建立された正確な年月は不明ですが、この忠魂碑は昭和六年から九年頃の時期に造られたと推定されております。
忠魂碑は、国交省が監修する都市公園法の解説書の中で宗教上の建物として考えるべきではないとし、公園施設の中の記念碑として扱っております。区としても、この考えの下、地域の歴史を伝える施設としてこれまで維持管理してまいりました。
忠魂碑は、国のために戦死した軍人や軍属の忠義を表したもので、委員のおっしゃるとおり、慰霊碑とは違います。区としては、二度と戦争を起こすべきではないという戒めとして、この公園に残していく趣旨を分かりやすく伝えていくべきと考えております。
これまで、委員からの調査依頼も含め、公園所管、教育委員会と調査していることを聞いておりますが、悲惨な戦争を後世に伝える建造物として、平和を考える素材として、早い時期に説明板を設置するように所管課に指示していきたいと思っております。

◆上川あや

現在、宗教性は薄くても、歴史を無視してよいことにはなりませんので、しっかりと改善をお願いします。