地方にお住まいだという性同一性障害をもつ当事者の方から、今日も悲痛な内容のメールがサイトに届けられる。
一語一語そこに込められた思いを目で追いながらココロが痛む。
インターネットの普及によって情報の地域格差は各段に改善されたとはいえ、むろん全ての人がインターネット環境にあるわけではない。
世代的にアクセスが難しいデジタルデバイドという問題もある。
前途を照らす善意の光も、人心の負の掃き溜めもあるのがインターネットの世界。
情報の質を見極めて、どうより良く活かすリテラシーの能力も問われるだろう。
溢れかえる情報の海にヒカリを見出すことは、人により容易ではないのが現実だろうとも思う。
私自身、10代から20代前半にかけて何ら道標を見つけることができず、暗中模索をしていた一人だった。
より正しく表現するならば、ココロの中での葛藤は止め処なく繰り返すものの、社会への現実の一歩を踏み出すことのできない膠着状態のなかにいたというべきだろう。
私が「男性をやめる」意思を固めた当時、インターネットの普及はまたまだごく一部に限られていた。
「性同一性障害」という言葉が国内で知られるようになったのは、自らの心の殻を破って、現実の社会で人と人としての関係を一から再構築しようと歩き出してしばらくたってからの事だった。
どうやって自分らしく暮らそうか…。日本に専門医といえる人など皆無に近いのがその当時の現実。
私はシンガポールの専門医に手紙を書き、格安航空券片手に渡航した。
家族を巻き込むことはしたくなかった。
周囲から聞こえてくる雑音にも耳をふさぎたくなった。
二度と家の敷居をまたがないくらいの覚悟で家をでた。
英語もろくに話せなかった当時。
辞書をいちいち引いて住まいを一から探し始めた。
長期滞在を続けるための家探しに学校さがし。
はじめの何日かは失敗の連続にへこんだ。
誰一人知る人のいない街。空を見上げて涙がこみあげた。
それでもココロの殻に篭っていては、私にとって希望する将来などないことはわかりきった事実だった。
だから涙を堪えて歩いた。
あれから10年近くがたった。
まだまだ問題が解決したとはいえない現実もある。
しかし状況は大きく変化した。
多くの当事者が数少ない専門医のもとに集中し、外科治療を含めて手がける医療機関も偏在している。
しかし現状を振り返って、これまでの複数の扉が開かれた原動力には、未知なるドアを勇気をもってたたき、勇気と熱意と共感させる力をもって訴えた勇気ある人の存在があったのが事実だ。
医療機関が足りないと批判するのは容易い。
現状の改善を求めるためには現実に努力する誰かが必ず存在しなければならないだろう。
声を上げることなく、足を運ぶことなく開く自動ドアがどれだけあるのだろうか。
性同一性障害が人権という枠内で語られるようになった現在。
権利意識をもつことも必要だろう。
しかし権利を頭から振りかざして無理やり扉をこじ開けたところで、本来的な解決を見たことに、偏見をきちんと排したことにはなるまい。
相手の気持ちに想像力が及ばない単なる圧力など逆効果でしかないと私は思う。
共感によってのみ開く扉がある。
自分の思いを伝える努力とともに相手の気持ちになって伝える努力が、一番の鍵を握っていると常々、私は考えている。
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トランスプロジェクトという演劇集団がある。
性の越境をモチーフとした演劇を当事者と当事者以外の人たちが一緒になって作り上げてゆく演劇。
私も議員になる以前から知人が参加していて、実際に演劇に足を運んだり、公園での夏のバーベキューといった交流の機会に参加させていただいている。
昨年の11月に彼らのイベントにお呼びいただき、彼らの演劇を映像の形で改めて拝見する機会があった。
その圧倒的な共感させるチカラには改めて目を見張った。
場を共有した方々の多くは、性同一性障害をもたない方々であったのだが、それぞれがそれぞれに感動の言葉を口にしていた。
週明けに予定されている新たな公演、本当に足を運びたいのだが、日程がどうにもあわない、とっても残念。
「共感」。
相互理解の扉をひらくヒントが彼らの演劇には多く含まれていると私は感じている。