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あや流!一期一会日記(1月
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1月19日

本日付で区議会の民主、生活者ネット、社民が合同して会派を結成した。
その名も「民主党・生活者ネットワーク・社民党世田谷区民連合」。
先だって女性区議の会派の突然の離脱があって、私たちの1人会派の部屋にも仲間が増えたところ。急な展開にちょっと驚いていたのだが…やはりというべきか…ことはそれだけに留まらなかった。

今回の3つの会派が合同することは、これまでの相互の関係からして決して不自然には感じない。

今年夏の都議選を控えて区議会にはなお再編の動きがでるのでは?という予想もあった。

実際そうかぁ…という感じ。さてどんな会派名になるのか?と思っていたら、先の名前である。
長い。しかも構成が何ともわかりやすい。
会派の略称が何なのか聞きそびれた…。

通常は三文字以内で届け出るのだが…「区民連」とか?なのかな?
当面12人と、区議会では公明を抜いて第二会派に躍り出た。

自公をあわせた多数に変化はないものの、議席の変更、控え室の変更も必至。

夏の都議選では2人の区議が都議会を目指す。

このほかにも変化の動きがあるのでは?とも感じている。

当面、区議会の流れの変化を注視していきたい。

☆ ☆ ☆

金八先生の脚本で知られる小山内美江子さんが療養中とのニュースが流れる。
容態は回復に向かっているとのことだ。

以前、私の挑戦に対しお心のこもったお言葉をくださった小山内さん。
その多くの作品を通して人々に多くの感動をくださり、カンボジアでの学校づくりにも精力的に取り組まれてきたことでも知られている。
小山内先生といえば常にお忙しく、絶えずアクティブに走り続けている印象がある。

この機会にしっかりと養生して頂きたいと思う。

そして一日も早いご快癒を心から願っています。

☆ ☆ ☆

本日明らかにされた厚生労働省の最新の調査結果によると、2003年時点で、国内の母子家庭の数が過去最多の約122万5000世帯となったという。

パートや臨時雇いの割合は5年前の前回調査より大幅に増え、平均年収は約212万円と、収入は1978年以降初めて減少に転じた。

11月末の私の一般質問(質疑参照)では、国の母子家庭等への支援策が従来の給付中心から自立促進へと急速に変化していくなかで、区の自立支援策の無策を追求した。

質問では父子家庭についても母子家庭とのあまりに大きな支援格差の是正、相談業務への配慮などを求めたところだが、事態はさらに深刻の度を深めていることが裏付けられた格好だ。

区は私の質問に対して、区内の実態把握とつづく支援策の検討方針を示してはいるが、区のこれまでの対応はあまりに鈍重だ。

今この時を育児と収入の担い手に奔走している方々の存在を直視して、区には早急な対策の具体化をあらためて求めたい。

1月10日

地方にお住まいだという性同一性障害をもつ当事者の方から、今日も悲痛な内容のメールがサイトに届けられる。

一語一語そこに込められた思いを目で追いながらココロが痛む。

インターネットの普及によって情報の地域格差は各段に改善されたとはいえ、むろん全ての人がインターネット環境にあるわけではない。

世代的にアクセスが難しいデジタルデバイドという問題もある。

前途を照らす善意の光も、人心の負の掃き溜めもあるのがインターネットの世界。

情報の質を見極めて、どうより良く活かすリテラシーの能力も問われるだろう。

溢れかえる情報の海にヒカリを見出すことは、人により容易ではないのが現実だろうとも思う。

私自身、10代から20代前半にかけて何ら道標を見つけることができず、暗中模索をしていた一人だった。

より正しく表現するならば、ココロの中での葛藤は止め処なく繰り返すものの、社会への現実の一歩を踏み出すことのできない膠着状態のなかにいたというべきだろう。

私が「男性をやめる」意思を固めた当時、インターネットの普及はまたまだごく一部に限られていた。

「性同一性障害」という言葉が国内で知られるようになったのは、自らの心の殻を破って、現実の社会で人と人としての関係を一から再構築しようと歩き出してしばらくたってからの事だった。

どうやって自分らしく暮らそうか…。日本に専門医といえる人など皆無に近いのがその当時の現実。

私はシンガポールの専門医に手紙を書き、格安航空券片手に渡航した。

家族を巻き込むことはしたくなかった。

周囲から聞こえてくる雑音にも耳をふさぎたくなった。

二度と家の敷居をまたがないくらいの覚悟で家をでた。

英語もろくに話せなかった当時。

辞書をいちいち引いて住まいを一から探し始めた。

長期滞在を続けるための家探しに学校さがし。

はじめの何日かは失敗の連続にへこんだ。

誰一人知る人のいない街。空を見上げて涙がこみあげた。

それでもココロの殻に篭っていては、私にとって希望する将来などないことはわかりきった事実だった。

だから涙を堪えて歩いた。

あれから10年近くがたった。

まだまだ問題が解決したとはいえない現実もある。

しかし状況は大きく変化した。

多くの当事者が数少ない専門医のもとに集中し、外科治療を含めて手がける医療機関も偏在している。

しかし現状を振り返って、これまでの複数の扉が開かれた原動力には、未知なるドアを勇気をもってたたき、勇気と熱意と共感させる力をもって訴えた勇気ある人の存在があったのが事実だ。

医療機関が足りないと批判するのは容易い。

現状の改善を求めるためには現実に努力する誰かが必ず存在しなければならないだろう。

声を上げることなく、足を運ぶことなく開く自動ドアがどれだけあるのだろうか。

性同一性障害が人権という枠内で語られるようになった現在。

権利意識をもつことも必要だろう。

しかし権利を頭から振りかざして無理やり扉をこじ開けたところで、本来的な解決を見たことに、偏見をきちんと排したことにはなるまい。

相手の気持ちに想像力が及ばない単なる圧力など逆効果でしかないと私は思う。

共感によってのみ開く扉がある。

自分の思いを伝える努力とともに相手の気持ちになって伝える努力が、一番の鍵を握っていると常々、私は考えている。

◆ ◆ ◆  ◆ ◆ ◆

トランスプロジェクトという演劇集団がある。

性の越境をモチーフとした演劇を当事者と当事者以外の人たちが一緒になって作り上げてゆく演劇。

私も議員になる以前から知人が参加していて、実際に演劇に足を運んだり、公園での夏のバーベキューといった交流の機会に参加させていただいている。

昨年の11月に彼らのイベントにお呼びいただき、彼らの演劇を映像の形で改めて拝見する機会があった。

その圧倒的な共感させるチカラには改めて目を見張った。

場を共有した方々の多くは、性同一性障害をもたない方々であったのだが、それぞれがそれぞれに感動の言葉を口にしていた。

週明けに予定されている新たな公演、本当に足を運びたいのだが、日程がどうにもあわない、とっても残念。

「共感」。

相互理解の扉をひらくヒントが彼らの演劇には多く含まれていると私は感じている。

1月7日

はや正月松の内も終ろうとしている。

今年は正月2日も年賀状の配達があるということで、事務所には多くの年賀状が届いた。

郵政民営化前夜?の変化も感じる正月である。

公職選挙法の縛りもあり、親戚や選挙にでる以前からの旧知の近しい人に関してしか年賀状は書けない。

毎年、せっかくならどんな年賀状を用意しようかと気をもみ、一人ひとりお送りする相手にあわせて、気持ちをこめた言葉を添えようと頭をひねっていたことから解放された一方、さまざまな方面からいただくご挨拶に対して返答が難しいというジレンマも感じる。

「ゆく年、くる年」を見て厳かな気分になる。

子供だった時分には、味気ない番組だと思っていたけれど、年の変わり目にあたり過ぎた一年に思いを馳せ、新年にあたり思いを新たにすることの味わい深さを今は感じる。

新年を迎えた直後、実家に電話。弟とオヨメさんと話がはずむ。

あいにく母は近所の方々と連れ立って、神社での夜通しの甘酒くばりに出かけているという。

ボーイスカウトの隊長として毎年、極寒の初詣会場の警備ボランティアをしていた父も今は一線から退いてゆったりとお酒を傾けて大晦日を過ごしているようだ。

子供の時分、わが実家のお正月には、お重を重ねた古典的なおせち料理が並んだ。

おせち料理の手伝いをしながら、材料と料理の説明を受けた。

将来「カシラ」になれるようにという「八ッ頭」。

子孫繁栄を願う意味のある「カズノコ」、先々の見通しが良いという「酢蓮」。

松前漬や筑前煮、煮豆…子供のころ、こうした和食があまり好きになれなかった記憶がある。

縁起物だからと無理して口に運んでいた品の数々が30代に入って以降、好きな味になった。

家を出て、逆に家庭の味覚に戻っていくのは年齢のせいなのか…。。。

子供のころ、料理の下ごしらえを手伝いながら母の説明を、いいかげんに聞き流していたけれど、実家を出て数年もたって、その時々のごくありふれた日常の一つひとつがとてもいとおしく思えるようになった。
距離をおいてみてはじめて振り返るぬくもり。

過ぎ去ってあらためて気づく人の心の有難さ。

共有する時間のいとおしさ。

「忙」は心を亡くすと書く。

今年も有難いことに相当先の予定までいろいろなご要望をいただいている。今年もやっぱり走り回る年になりそうだ。

しかしいずれも自分自身が歩む人生の一歩いっぽ。

伴走してくれる人がいる幸せもある。

耳元に声援を届けてくださる方がいる。

謙虚に歩みを重ねたい。

周囲への感謝の気持ちを忘れないように。

年頭にあたっての自分自身への訓示である。

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