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あや流!一期一会日記(7月
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7月16日

翌日16日は鶴岡へ。

鶴岡市立朝暘第一小学校を訪問。

学校図書館の教育への活用を学校経営の中軸にすえた同校の取り組みは、今年3月の衆議院文部科学委員会でも取り上げられており、今、最も注目されている学校図書館である。

同校が目指すは「心豊かな生涯学習者を育む」こと。

「レストランのような図書館」をキャッチフレーズに、人のぬくもりのある図書館、児童をひきつける図書館づくりを目指している。

館内を魅力的に整備するだけでなく、子どもたちにとって使い勝手のよい設備とシステムを提供すること、そして何より子どもたちに信頼され頼られる熱意ある専任スタッフを置いて対処している。

発想の原点は「子どもの視点」だという。

また読書が苦手という児童を本好きに変える「働きかけ」の積極姿勢が印象的だ。

担任、地域ボランティア、児童同士による頻繁な読み聞かせ活動や、作者との交流会などを開催しているほか、読書が不得意な児童に宛てて図書館はお誘いの手紙を送っているという。

不登校児童や自宅療養中の児童には、無制限、無期限に図書を提供するなど個々人の関心を喚起するきめ細かく手厚い対処が素晴らしい。

実際に図書館を訪ねると、休み時間の館内は、本をさがす児童たちで溢れ返っている。

交わされる会話も本の内容の評価や紹介だったりと、その活気にはビックリ。

独自の学校司書の配置と司書教諭、授業者との密接な連携を図って、学校の授業内容との相互補完を図り、取り揃える資料も粘り強く取り揃えるという。

時には、県外の図書館や在京の大使館などにも問い合わせて、児童が読みたい本、調べたい資料に十分に応えられる環境づくりを目指しているという。

まさに図書館の充実が、学校経営戦略の中核なのである。

さて10年にわたるその成果が気になるところである。

全体として、児童の話を聞く力、集中力が増し、喋りすぎる子は喋り過ぎない、話せなかった子は話せる子へと、コミュニケーション能力が向上する好ましい変化が見られるという。

その成果もあるのか、現在、660の児童が在籍しているがいわゆる不登校はゼロ。

学力的にも全国平均を10%上回るという。

また、廊下で交わされる児童同士の会話の内容が、昨今のテレビ番組やゲームの話題でなく、本を話題にしていることも珍しくなく、外から着任した先生はこうした差異に「これは本物だ」と驚いたそうだ。

すでに多くの自治体から視察団を受け入れており、対応する学校としても嬉しい悲鳴のよう。

的確な判断と熱意ある取り組みが大きな成果を挙げている現場を垣間見たようで、私たち視察した委員も大いに感銘を受けたようだ。

「いままで視察した中でも最も印象的です」というベテラン議員も。世田谷での具体的な活用も展開してゆきそうな予感である。

夕方の便で帰京。

梅雨風情の山形から戻ると東京はむせかえる暑さである。

7月15日

区議会文教委員会の視察で山形県酒田市、鶴岡市へ。

初日は、酒田市にある東北公益文化大学を中心に視察。

県と地域の14市町村が中心となって設立された公設民営の新大学である。

庄内地方の大学はこれまで山形大学の農学部が唯一の存在であり、大学教育機関の設置は長いあいだ地域の願いだったという。

大学の「生き残り競争」がいわれる少子化の時代に、地方に新大学を設立するにあたっては、「ここにしかない」独自性を持たせることにこだわったという。

公益学という学問領域も、この考えのもとで考え抜いた結論という。
結果、大手予備校の下馬評を裏切って、これまでのところ多くの学生が集まっているという。

気になる卒業後の就職状況も、公益重視の姿勢が民間企業にも求められる時代とあって悪くない様子。出だしは順調なようだ。

地元自治体と慶応大学に密接な連携を求め、大学図書館は3者の協力により、広く住民にも開放されているという。

施設整備の資金と運営のノウハウを、地元自治体と他大学から引き入れ相互乗り入れを図ることで安定した利用実績を上げている。

広く地域住民に開放された大学施設のあり方は示唆的で、幅広く市民に学問・文化を発信していく姿勢も好ましいものだ。

市は他の公共施設の整備促進と併せ、この地域を文化ゾーンとして整備してゆく方針という。

地域社会と大学の関係に一つのモデルを提供する取り組みだが、今後は順次、立ち上げに関わった自治体出身の職員も引き上げる計画である。

完全な私立大学への移行とともに、現在の単科から、新学部増設への青写真もあるようだ。

逆境のなか新たな発想と果敢なチャレンジをづづける同大学の今後にも注目していきたい。

7月14日 千葉へ

市民ネットワーク千葉県が主催する催しで講演させていただく。

独自候補を擁立している同ネットワークであるが、今回の参加者も県内各地で活躍されている所属議員をはじめ、地域住民、チリからの留学をはじめ千葉大教育学部の学生の皆さんなど幅広い陣容だ。
催しの後も主催者、参加者有志と近くの喫茶店に。話は尽きない。

講演をお聞きくださった議員の方からは、非常に印象深い講演だったとのご感想をいただく。

ぜひ地元自治体で行政書式から不要な性別記載を見直したいとの意向もお聞きかせくださる。

今後とも取り組みの裾野が広がるを期待している。

7月13日

日本帰国。

空港に向かうまでの2時間ほど、アムステルダム市内を歩く。

アンネ・フランクがナチスの目をしのんで暮らした旧居跡を通過。アンネの家

本当はアンネの家も是非とも見学したいと思っていたけれど、今回は時間切れ。

旧居跡を取り囲むように見学者が長蛇の列を作っているのをながめるだけにする。

しかし、ここまできたことは無駄ではない。ホモモニュメント

アンネフランクの家と目と鼻の先に、ナチスドイツの迫害によって犠牲となった同性愛者を悼み、その悲劇を後世に役立てるためのモニュメント「HOMOMONUMENT」が見学できるのだ。

ナチスによる大量虐殺と言えばアンネ・フランクに象徴されるような、ユダヤ系へのホロコーストが第一に思い起こされる。

しかしユダヤ系以外にも、ロマ、障害者、政治犯や同性愛者らが、ナチスに手によって大量殺戮の虐殺されている。

アンネ・フランクの家に並んだ、アムスで一番高いという西教会の塔を背景に、運河に面してそのモニュメントはあった。

ホモモニュメント静かな水辺に映るモニュメント。

ガイドブックに紹介されることなく、普段は観光地として脚光を浴びることもないスポットであるが、アンネ同様、理不尽な迫害による犠牲者たちを悼むものである。

この地にモニュメントが設置されたのは、事実この地から多くの同性愛者が送り出され、また処刑されたという史実に基づいているのだという。

ナチスは彼らにとっての囚人を識別する印をそれぞれに付けた。

ユダヤ人にはイエロースター(黄色いダビデの星)、政治犯にはレッドスター、そして同性愛者にはピンクトライアングル。

ピンクのトライアングルは現在、同性愛者がそのプライドのシンボル、権利獲得運動の象徴としても用いるようになった。

過去の悲劇を後世につたえより良い方向に変えてゆく意志がそこにはこめられている。

今回、アムステルダムの最後に訪れたこのモニュメントにも、ピンクの石が敷かれ三角形をかたち作る。

アンネの家を見学しようと、多くの人々が列をなすすぐ脇に、同じく狂気に翻弄され犠牲となった人々を悼む場があることを知る人はあまりに少ない。

アンネフランクの過ごした部屋は、世界中から訪れる見学客のため傷みが激しく、その後改修されて当時そのもの面影が損なわれたともきく。

2つのスポットのそれぞれの変遷を知り、なんとも複雑な想いにとらわれた。

このモニュメントの見学を終え、歩き出すと前方にレインボーフラッグ。
多様性の象徴として多用されるレインボーカラーであるが、6色のレインボーは、特に性的少数者のプライドを象徴するものでもある。

Pink Point屋根には「gay & lesbian info」の文字。

ここは、地元ボランティアが中心になって運営している同性愛者のための情報発信基地Pink Point がそこにある。

アムステルダムで唯一のお土産に、レインボーのマグカップを求めた。
数多い自由に入手できるリーフレット、フライヤーの中には、性的少数者の差別犯罪に対応した相談窓口の案内もある。

その運営は警察のプロフェッショナルによって行われている。

警察に勤務するゲイ、レズビアンがその中心になって活動しているのだという。

同性間の結婚が世界で始めて合法化された同国にあっても、偏見に根ざした犯罪はやはりゼロではないということをあらためて思う。

世界でもっとも寛容と思われるオランダ、その首都アムステルダムにおいても差別と人権をめぐる地道な取り組みが、まだまだ求められているようだ。

急ぎアムステルダムを後にする。

目指すは、夏本番の東京である。

◆ ◆ ◆

朝の成田空港に到着。

空港の気温計は既に31.7℃を示している。

冷夏のアムステルダムを発ってなんだかものすごい変化。

ジットリと生暖かい風に、帰国を体感。

海外でのネット環境が準備した通りには、なかなか構築できず仕事もたまっている。

時差ぼけ早く解消してがんばらなきゃ。

7月10日

目覚めると雪!寝起きからビックリ。

窓の外は夏盛りの季節だというのに雪が降っている!
周辺のお花畑が雪に染まっている。

幸いロープウェイは、問題なく動くらしい。

雪の花畑、向うにホテル 標高差1000メートルを5分で下山。

列車を乗り継いで小雨の降るなか、ジュネーブに戻る。
ジュネーブの手前で虹を眺める。
性的少数者のプライドパレードに参加するまえだけに何だか暗示的でフシギな気分。

トラム(路面電車)から降りる人のほとんどが、パレードへの参加者のようだ。

賑やかに音楽をかけながらパレードは出発する。

午後のジュネーブは快晴。パレードに参加

レマン湖畔を市内中心部へ。

ローヌ川をわたって旧市街の歴史的な街並みを進む。

私は主催者のアイデアにより、ゲストとしてパレードの先頭フロート(車を改造した山車)に乗せていただいた。

毎年行われているバレードだけど、これだけ派手な趣向と大勢の参加があったのは、初めてのことらしい。

多くの市民、観光客がパレードを取り囲む、フロートから微笑んで手を振ると、その手を振りかえし投げキッスをくださる。

数千人のパレード参加者とともに独特の高揚感を味わい、幸せな気分。

明日は、いよいよスイスを後にする。

刺激的で充実した6日間。

多くの方々のホスピタリティに本当に感謝!!です。

7月9日

朝4時起床。氷河を目指す900段

せっかくスイスに来たのだからと急ぎ足で、アルプスの高地、ユングフラウに向かう。

当初、あいにくの雨模様だったのだが、乗り継いで行く先々で天気が好転する。

グリンデンワルトから足を伸ばして、ハイキング。

オーバラー氷河を間近に眺める。

登山電車を乗り次ぎ、落差300mの断崖の滝で有名なラウターブルンネンで昼食。

登山鉄道をのりついで、鉄道で行けるヨーロッパ大陸の最高点上りきってたどり着く氷河

ユングフラウヨッホへ。

終着駅の標高は3454メートル。

人も住まないアルプスの稜線までよくぞ鉄道を通したものだと、その熱意にただ感心させられる。

かつては優秀なアルピニストが天候を睨みながらようやっと訪ねたであろう高所が、いまや鉄道でビーチサンダル履きで訪ねられる観光名所となっている。

夕方5時の時点で外気は氷点下5℃。ユングフラウヨッホから見たアレッチ氷河

雪の中を散歩、眼下に広大なアレッチ氷河を眺めることができた。

天気のいい日中は、観光客で溢れている展望台だが、夕暮れ前のこの時間、私と友人の二人きりだ。

ゆっくり堪能できてウレシイ。

19時。登山鉄道の途中駅

午後7時から1時間かけてハイキング。

一軒宿の立つメンリッヒェンへ。

足元は一面のお花畑で道も整備されほとんど平坦である。

周囲にはひたすら雄大な景色が広がる。

20時。ホテルへのハイキング途中

山のホテルに宿泊。

この地域はドイツ語圏。

ポテトとソーセージの夕食をいただく。

明日は朝一番のロープウェイで下山して、午後にはジュネーブに戻らなきゃ。

7月8日

国連ヨーロッパ本部、パレ・デ・ナシオンを見学。

国連ヨーロッパ本部 ラッキーなことに、すぐ日本人の案内員を紹介される。
ガイドツアーの参加者は、日本人である私と友人、現地の学生であるキャサリンの3人のみ。

日本語による案内サービスは、ツアーなど国連の会議場での予約が一般的らしい。個人的な申し込みで日本語ツアーを行うのは、案内員の方によるとこの夏初めてらしい。

「これだけ沢山の質問をいただいたのは初めてです。」

と質問攻めに苦笑いしながらも、丁寧で内容充実のご説明。

良質なサービスを提供いただいて感謝です。

近くのシャトーまで歩いて移動して昼食雨上がりのレマン湖

フランス料理に飽きることもなく、今日も美味しい。

城を見学して植物園を散歩、レマン湖のボートとバスを乗り継いで中心部に戻る。

夜、地元にお住まいの日本人宅でホームパーティ。市内の公園で

足を踏み入れると内部は、東洋趣味を生かした古きよきヨーロッパ風。

現地の日本人を中心とした暖かな宴で皆さん温かく、会話は刺激的。

60代になってフランス語を習いはじめ、10年近く異国に暮らしいる体験なども親しくお聞かせていただき、人生の豊かな選択って素敵だなぁとあらためて感心してしまった。

7月7日

今日は、かわら版で紹介した会議の当日である。

朝10時、今回の会議で日本語からフランス語への翻訳を担当するカリーナとジュンコさんがアパートを訪問くださる。

ジュンコさんは、会議の主題であるセクシュアルマイノリティについて、インターネットで自ら調べた資料を既に分厚く用意している。

カリーナはかつて日本に3年間住んだ経験もあり、日本語のみならず9ヶ国語を話せるという才媛だ。

私の講演内容について理解を深め、内容に万全を期するためディスカッションを行い会議に備えることとする。教会の上から、前方の山はジュラ山

午後、アパートから歩いて会場へと向かう。

途中、ジュネーブの旧市街を散歩。

サン・ピエール大聖堂の塔に上って市街とレマン湖を眺める。

夕方、5時半から会場の大学近くのカフェでスタッフと打ち合わせ。

6時半に会場入り。

会議の始まる8時まで忙しく調整がつづく。

会場の様子ちょっと遅れて会議はスタート。

会場には200人近い聴衆。

主催者挨拶、司会者による問題提起に続いて、私から日本のセクシュアルマイノリティ事情を紹介する。

セクシュアルマイノリティをカミングアウト(公表)している日本でただ1人の議員であること、セクシュアルマイノリティを取り巻く社会的な背景、これまでに報告されている差別や偏見に基づく事件、学校教育のなかの性教育、当事者の社会的なvisibilityが低い現状と社会一般の認識、社会制度上の取組みの現況と今後への期待…等々をお話しする。

周到な準備が功を奏してフランス語への通訳は順調な様子。

一方、フランス語をもとに同時通訳をしている英語は、そのスピードに追いつくのが大変なようだ。

ヘッドフォン越しに「ゆっくり話して」と何度も指示が入る。

どうやら翻訳、通訳を繰り返すほど全体量が増えてしまうようだ。

講演を終え、長〜い拍手をいただく。(これは私に限らず他の講演者に対しても。文化の違いなのかな?)

会議の壇上つづいて、アメリカの在ルクセンブルク大使を務めたホーメル氏が講演。

昨今のアメリカでつづく、同性間のパートナーシップをめぐるめまぐるしい動きを報告。

大使として着任中、同性の自らのパートナーを呼び寄せた話にも触れ、会場にきているパートナーを紹介する。

ハニカミ笑顔の彼氏が素敵。

アフリカのブルキナファソからは、ゲイのゾンゴ氏が生々しい迫害の体験を語った。

同性愛行為を見咎められての初めの3ヶ月の投獄、ついで家族の届出を発端とした7ヶ月の投獄。

10メートル×13メートル(だったかな)の房に30人ほどが押し込まれ、他の収容者からも酷い扱いを受けたという。

「お前が死ねば、1人分のスペースが空く」と言われ、常にトイレスペース脇にいるほかなかったのだと振り返った。

「私は囚人の中にしても更なる囚人として扱われた」

との言葉が強く印象に残る。

このほかアメリカからは、性的少数者への偏見と差別から居場所を失いホームレスになる若者が多いという報告があり、また地元スイスの地元代議士からは、先月、連邦議会を通ったパートナーシップの法整備など国内の取組みの概況が説明された。

盛りだくさんの報告にボランティアの通訳はパンク状態。

(当初順調だった日本語へのボランティア通訳もパンク。プロでも同時通訳は20分交代が原則というから無理もない。国連職員も参加するフランス語から英語への通訳にチャンネルを切り替えるも、英語通訳もオーバーフローの様子。十分な理解ができなかった(ノд・。)資料の提供を主催者に頼んであるので、もう少し詳しい報告を何らかのかたちできるといいな)

夜8時過ぎに始まった会議、2時間の予定を超過して終了。

その後連れ立って夕食へ。

夜中の1時までオープンカフェで盛り上がる。

今回、一連のイベントを企画したイブさんによると、今回の会議でその内容への評価の高かった講演は、アメリカのホーメル氏、コートジボアールのゾンゴ氏と、私、カミカワの3人だったとの報告。

肩の荷を降ろして一安心。

7月6日

メトロで市内へ。

中心街で、靴とスカートを探す。

会議にあわせて日本からジャケットを持ってきながら、見合ったタイトスカートを探す。靴屋では個性的で格好いい靴がいっぱいで、バーゲンのシーズンいうこともあってほとんど半額に近い。

おもわずエキサイト。

ところがどっこいスカートのサイズがない!

王宮前広場に面したデパートでテナントを訪ね歩くが、やっぱりどこにもない。

日本ではSサイズを履いている私であるが、店員に訪ねるとオランダの成人女性用の商品には、見合ったサイズがないと判明。
「子ども用をさがした方が早いかもね??」というとミッシェルも苦笑している。

今日の午後はスイスへと向かう。空港へ向かおうと駅へと急ぐ道すがら、チャイナタウン内のショーウインドーで、イメージ通りのスカートを発見!

東洋系ってやっぱりぜんぜんサイズが違うのね…ピッタリです。

ジュネーブ旧市街ミッシェルと再会を約束して、空路ジュネーブへ。

ジュネーブでは現地スタッフの方々から出迎えを受ける。

スタッフのご家族のアパートを滞在先としてお借りすることになっている。

夜は旧市街にある、スイス料理のレストランへ。

カワスズキの料理海外からの賓客も訪れるという店で、レマン湖の川鱸(かわすずき)のムニエル、ラクレットなどの地域の料理をいただく。

現地のゲイ&レズビアンのアクティビストの方々、通訳をしてくださるボランティアスタッフ、前在ルクセンブルクアメリカ大使で、オープンリーゲイのホーメル氏らと食事をご一緒する。ホーメル氏と


今回私を呼んでくれたジュネーブを拠点に国際的な活動を行っているGIGのイブさんは、20年も前からこのスイスで同性愛者を取り巻く問題に取り組んでいる。

ホーメル氏の住むサンフランシスコには、彼による多額の募金に感謝して、彼の名を冠した公立図書館があるのだが、その設立まで多くの議論があったのだとお話くださる。

また彼は、アメリカ初のゲイを公言する大使としてルクセンブルクに派遣されているが、承認を得るまでの紆余曲折は painful storyだったと振り返った。

それぞれの背景をもつアクティビストが一同にテーブルを囲み、フランス語と日本語と英語が乱れ飛ぶ夕食会。

国際都市ジュネーブらしい刺激的な時間を過ごした。

世界の最先端をゆくオランダでは、変革の先導役を果たしてきたCOCというグループが近年、急速にその活動を縮小しているのだとミッシェルは言っていた。

「オランダは環境がもう整ってるから、もう勝ち取るべき目標がないのよ」だそうである。

そのノーマライゼーションが進み、同性カップルもほとんど特別視されないオランダ。

当事者が姿を見せ、社会に対し積極的に働きかけ続けているアメリカ。
国際的な視野をもって環境改善を図っていこうとアクションを起こすジュネーブの人々。

当事者の姿が見えにくく、人権問題としての共通認識さえおぼつかない日本。

性的少数者をめぐる温度差を今更ながら実感する。

7月5日

オランダ二日目。

冬のような昨日と打って変って晴れ、ときどき曇り。

風がとってもさわやかだ。

今回、ステイしているミッシェルの家はアムステルダムの中心街からおよそ15分。

東京から考えると十分に便利な郊外の住宅であるが、歩いて5分もすると、地平線さえ見える牧草地が広がっていてビックリする。

水辺には白鳥。

草原には牛や羊。

はるかかなたには風車が回っている。

…思い描いていた通りのオランダらしい風景が広がっていてこれにも驚いた。

あるいて周囲の風車を見学し、メトロ(都心部は地下鉄)で都心へ向かう。

いわゆる駅員は全く見当たらない。

どうやってチェックするの?とたずねると、基本的に honor system だという。つまり利用客の良心に期待して、チケットは販売しても逐一のチェックはしないのだそうだ。

個を尊重して他人を管理したり干渉したりしないのがオランダの気風らしい。アムステルダム中央駅。東京駅のモデル

東京駅の原型となったアムステルダム中央駅を通過、バスに乗り換えて、かつて北海に面したフォーレンダムという漁村に向かう。

およそ日本より人口密度が高いとは思えない伸びやかな景色が広がっている。

フォーレンダムの漁港周辺には、名物のニシンの塩漬け「ハーリング」を売る露天がそこかしこに。

興味本位で試したけれど、メチャクチャ美味しい。

フレッシュなニシンを単純に一週間ほど塩漬けにしたもので、味も日本人好みだと思う。

しかし、もうこの漁村でニシンを水揚げすることはない。

村の目の前に広がる果てしない水面は現在、30kmの締切堤防で海か
ら切り離されて淡水の人造湖になっているのだ。

港からボートに乗り換えてアイセル湖上の島へ。

独特の家並みが続く島内をしばし散歩。
「ポフィチェス」という小さなパンケーキを食べて、近在の木靴の工場を覗く。

木靴は今も単なる工芸品ではなく、日用品なのだとか。

庭の世話などをする折にヒョイと履くサンダル代わり。

履いてみると思いのほか履き心地もいいしデザインも豊富だ。

バスで市内へ戻る。

家でお手製のオランダ家庭料理をいただく。

肉とポテトがテンコ盛り。く、苦しい。。。

7月4日

今日はヨーロッパに向けて出発する日。

昨日の夜遅くまで荷造りをし、朝まで一睡もしないまま、7日の会議で私がお話しする内容についてプロットを作る。

結局、そのまま朝5時半に出発、成田空港へ。

東京からアムステルダムまでは9330キロメートル。直行便とはいえ、往路11時間以上の長旅である。

飛行機の中で映画を2本見て、2回食事をとる。久しぶりにテレビゲームにも興じたが、それでも時間が余りある。

現地時間の15;00にアムステルダム到着。

空港には、友人でアムステルダム在住のミッシェルが彼と一緒に出迎えてくれている。

会議に参加するスイスでの日程の前後、ストップオーバーのかたちで、ミッシェル宅にお世話になることにした。

今年のアムステルダムの夏は、ずっとぐずついた気候らしくい。

到着時の外気温は18℃。今日も肌寒い。これで夜8時!びっくり

さすが高緯度地域の夏、トップリと日が落ちて暗くなるのは23時頃のことである。

(サイトにアップしている窓越しの写真で、夜20時ごろ)

半年振りの再会。ミッシェル宅、リビングで

ミッシェル宅で長々とお喋りをして、ミッシェルの彼と子どもとゆったりと食事をとる。

深夜、ミッシェルの案内で夜のアムステルダム中心街へ繰り出す。

オレンジ色の街路灯に照らされた、運河沿いの古い町並みが美しい運河の向こうに教会

ロイヤルパレスや旧教会、それを取り巻く周辺の「飾り窓エリア」などの古い街区を散歩。

飾り窓地区については2000年から売春が合法化されており、夜遅くなっても大勢の観光客でにぎわっている。

重厚な街並みと合わせて、コーヒーショップ(マリファナやハシシを売る店)なんかも散見されて、ディープなオランダを歩き回って体感。

それにしても寒い。

特に夜はコートが必要なくらいだ。
2日間ほとんど寝ていないから、今日はぐっすり眠れそう。

このぶんなら時差ぼけ一発で解消できるかな。

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